今回は、パリパラリンピックでも現地からの中継で活躍した鳥海連志選手について紹介します。
鳥海連志さんは男子日本代表の車椅子バスケットボール選手。
鳥海連志さんの家族構成や両親、兄弟との関係性は?
今回は、鳥海連志さんのこれまでの歩みを通じて彼がどのように成長してきたのか。
そして鳥海連志さんがどんな思いで競技に取り組んでいるのかを一緒に見ていきましょう。
鳥海連志の家族構成!プロフィール、読み方は何?苗字の由来も!
鳥海連志選手はちょうかい れんしと読みます。
とりうみれんし?ちょうかいれんし?どこの国?と迷いますよね。
「鳥海」の苗字の由来は秋田県と山形県にまたがる鳥海山(ちょうかいさん)、山形県の鳥海村(とりうみむら)から来ているんですね。
しっかり日本の苗字です。
鳥海連志さん出身の長崎県長崎市とは次のような関係があります。
戊辰戦争時に山形県飽海郡遊佐町の鳥海山のそばで戦って称したと伝える。
引用元:日本姓氏語源辞典
鳥海連志さんは1999年生まれ、2024年現在25歳です。
長崎県長崎市出身で、車いすバスケットボールの選手として活躍しています。
現在は神奈川ヴァンガーズに所属しており、ポジションはフォワード。
彼の名前の「連志」という名前は、両親が「高い志を持ち続けるように」という願いを込めてつけたものです。
鳥海連志選手は生まれながらにして、両足のすねの骨がない、両足が内側に曲がっているという障害を持っていたんですね。
3歳の時には、両足の膝下を切断するという決断を家族が下しました。
さらに、右手には4本、左手には2本の指しかないというハンディキャップも抱えています。
しかし、鳥海連志さんの人生はそのような逆境に屈するものではありませんでした。
その理由は彼の家族。
両親、そして兄弟が彼のバスケットボール挑戦を全力で支えました。
障害を持つ子どもに対しても、家族全体でその子を特別扱いせず、一緒に生きていくという環境で育った鳥海連志選手。
この家庭内での「目に見えない気遣い」が彼の強さを育んだのではないかと私は思います。
そんな鳥海選手の家族一人一人についてより詳しく見ていきましょう!
鳥海連志の家族構成!父との関係性とは??
鳥海連志選手の父親は鳥海隆一(ちょうかいりゅういち)さん。
造船会社に勤務しており、かつてはバスケットボールの選手としてもプレーしていました。
連志選手が幼少期からバスケットボールに触れることができたのは、父親をはじめとする家族の影響が大きかったんですね。
父親の隆一さんは、連志選手が障害を持って生まれた時、その育て方に戸惑いを感じていました。
しかし、次のような家族のルールを掲げ、鳥海連志さんに「できない」と言わせないように心がけます。
「やる前からできないと言わない」
引用“長崎市PTA連合会”
このような家族の姿勢が、連志選手が挑戦を恐れずに生きる基盤を作ったんですね。
父親の支えは、単に言葉だけでなく、行動でも示されていますよ。
鳥海連志さんが車いすバスケットボールを始めた際には、早くからその才能を認識し、サポートを惜しみませんでした。
仕事と競技生活の両立を図りながら、遠征や試合の応援にも駆けつける父親の姿は、連志選手にとって何よりの励ましとなっていたことでしょう。
父・隆一さんの力強いサポートがあって今の連志選手がある、ということを忘れてはいけませんね。
鳥海連志の家族構成!母との関係性とは??
鳥海連志さんの母親は鳥海由理江(ちょうかいゆりえ)さん。
母・鳥海有理江さんはバスケットボールのマネージャーをしていました。
母親もバスケットボールにかかわっていたんですね!
由里江さんは、連志選手が0歳から通っていた保育園「菜の花こども園」で彼の成長を見守りました。
特に障害のない友だちと一緒に遊ぶ姿を見ながら、子育ての方針を固めていったといいます。
3歳の時に鳥海連志さんの両足の膝下を切断するという決断を下したのは、主に母・由理江さんでした。
「こんなに動く子を縛り付けたらきっと楽しくないだろう」という母親としての深い愛情と洞察が、その困難な選択を支えたのです。
当時の彼女は辛く、とても複雑な感情をもっていたのではないでしょうか。
わが子の将来に関しての決断を簡単に決めることなんてできませんよね?
相当な覚悟と勇気があったに違いありません。
私はここに、彼女の母親としての強さを感じます。
さらに、母・有理江さんは息子に対して「限界を自分で作るな」という言葉を常に伝えていました。
これは、リオパラリンピックのテーマでもある「限界のない心」と共鳴する考え方です。
鳥海連志さんの母・由里江さんが持つこの強い信念が、連志選手の挑戦を支える大きな力になったのではないかと感じます。
鳥海連志の家族構成!兄弟との関係性とは??
鳥海連志選手には1歳年上の兄・大樹(たいじゅ)さんと、10歳年下の妹・はなさんがいます。
兄の鳥海大樹さんは小学校からバスケットボールを始め、大学でもそのキャリアを続けていました。
兄弟間では、特に兄の大樹さんが連志選手のバスケットボール人生にとって大きな影響を与えた存在だったんですね。
鳥海家には次のような納得のルールがありました。
「喧嘩は腕だけ」
引用“長崎PTA連合会
これは、連志選手が足を使えないため、キックを禁止するためのものです。
このルールに込められた家族の優しさと気遣いが感じられますね。
スポーツマンらしいフェアなルールだと思います。
妹・鳥海はなさんについても触れておきましょう。
10歳年下の妹・はなさんは鳥海連志選手の個人練習を手伝うなど、彼にとって重要なサポート役となっています。
特に妹・はなさんとの関係は微笑ましく、家族全体で彼を支える姿勢が感じられます。
10歳下の妹は兄から見て何事にもかえがたい、かわいい大切な存在なんだろうなと想像してしまいますよね。
妹はなさんの存在も鳥海選手にとっては大きなものでした。
鳥海連志の家族構成をまとめます!!
鳥海連志さんはちょうかいれんしと読み、東北地方にある鳥海山がルーツの日本の苗字です。
父の隆一さんと兄の大樹さんはバスケットボール経験者。
母の由理江さんは元バスケ部マネージャー、妹のはなさんは兄連志さんのサポートをしています。
家族全員バスケットボールに触れてきているんですね。
ここまでご紹介したように、鳥海連志選手は、家族全員の支えを受けながら成長してきました。
両親の深い愛情と、兄・妹との強い絆が、彼を車いすバスケットボールのトップ選手へと導いてきたのです。
特に父親の影響は大きく、彼がバスケットボールに取り組む姿勢は、まさに家族からの影響が色濃く反映されています。
鳥海連志さんの人生は、決して順風満帆ではありませんでした。
しかし、家族の愛情と支えが彼の困難を乗り越えさせ、鳥海連志さんを世界の舞台へと押し上げました。
私自身も、このような家庭環境で育った彼が、どれほどの努力をしてきたかを想像すると、感動せずにはいられません。
障害を持ちながらも、その障害を乗り越えて世界トップレベルの車いすバスケットボール選手となり、日本代表としての道を歩んできた鳥海連志さん。
鳥海連志選手がこれからもどのような道を歩んでいくのか、その一歩一歩に注目し、応援していきたいと思います。
彼の挑戦は、障害の有無にかかわらず、多くの人々に勇気と希望を与え続けることでしょう。
彼の未来には、まだまだ多くの可能性が広がっていると信じています。
今後の彼の活躍が楽しみでなりませんね。
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