今回は、日本の車いす女子バスケットボール界で大活躍している網本麻里(あみもとまり)選手を紹介します。
すっとした美人顔が印象的な網本麻里さん。
何の病気で車椅子バスケットボールの選手に?
網本麻里さんは歩けるのでしょうか。
今回は網本麻里さんのプロフィールから、バスケットボール人生を紹介します。
それでは一緒に見ていきましょう。
網本麻里は歩ける??病気、プロフィールは?器械体操の実力者!?
網本麻里さんは歩行可能な車椅子バスケットボール選手。
1988年11月15日に大阪市で生まれました。
自分の足で立ってインタビュー写真に映る
網本麻里さんはすっとした美人顔ですよね。
車いすバスケをしているときの真剣な顔とのギャップが印象的です。
生まれつき右足首が内側に曲がる「先天性内反足」を持っていた網本麻里さん。
2歳の時に足の手術をして、そこから歩けるようになります。
なんとその後すぐに器械体操を始めました!
まだ2歳半くらいですよ?
器械体操メダリストの池谷幸雄(いけたにゆきお)さんと同じ体操教室に通い、
オリンピック選手を目指して本格的に練習に励みます。
生まれつきの障害を持ちながらも、ほかの子供と一緒に走ったり跳んだりしていたんです。
これ、すごいですよね!
正直、私も器械体操やっていたことがあるのですが、
あんなに回ったり跳んだりするのは体力とバランス感覚が必要なんですよ。
網本麻里選手もこの頃からすでにすごい運動神経を持ってたんだなと感じます。
網本麻里は歩ける!ミニバス時代!健常者バスケ時代の経歴は??
網本麻里さんが小学校3年生になると、ついにバスケットボールに出会います。
ここから彼女の人生はガラッと器械体操から、バスケットボールに方向転換します。
友達に誘われて「ミニバス」を始めたんですが、この時点ではまだ自分で歩いてプレーしていたんですよ。
網本麻里さんはバスケが大好きで、障害があっても全然気にせずにボールを追いかけていました。
こういうのって、純粋にスポーツを楽しむ気持ちが表れていて素敵ですよね。
しかし、小学校6年生になる頃には、右足に痛みを感じるようになっていた網本麻里さん。
痛みを我慢しながらもプレーを続け、中学ではチームのキャプテン、
地区選抜にも選ばれるほどの実力者になりました。
この頃には医師から「バスケは無理」と言われていたんです。
でも網本麻里さんは諦めませんでした。
強い気持ちでプレーを続けていたんですね。
中学でチームのキャプテンに地区選抜!
これってハンディキャップがなくても簡単になれるものではないですよね。
神レベルの運動神経、車いすバスケットボールのトップ選手にも、なるべくしてなったんだなと深く感動しました。
網本麻里は歩けるけど走れない?2度目の手術とバスケ人生の岐路!
網本麻里さんは歩けるけど走れません。
中学2年の夏、網本選手はついに2度目の手術を受けることに。
つま先の骨を切る大きな手術をして、これ以降、走ることはできなくなってしまいました。
ここまでずっとバスケを続けてきた彼女にとって、
「もう走れない」となるのは本当に辛かったでしょう。
しかも、医師からは「バスケをやめろ」とまで言われるんです。
大スキなバスケットができなくなる、想像するだけで胸が痛くなりますね。
でも、ここからが網本麻里選手の転機。
母親の勧めから車いすバスケに出会います。
手術後、運動はむずかしいと知った母は、次ような気持ちで娘のバスケットの未来を探したんですよ。
娘がバスケットをしている姿を見たい
引用元:ペルオン
手術後も健常者バスケを続けながら車いすバスケにも参加していた網本麻里さん。
高校1年生のときに、オーストラリアでの車いすバスケットボール遠征に参加。
そこからパラリンピックを目指し、車いすバスケの世界へ本格的に踏み出すことになりました。
このオーストラリア遠征が、網本麻里さんのバスケ人生の大きなターニングポイントだったんです。
当時、網本麻里さんの健常者バスケを断念した心残りを晴らす最高の出来事でした。
私自身、網本麻里さんが自分の状況を受け入れながらも、
新しい挑戦に前向きに取り組む姿にすごく感動しました。
網本麻里は歩ける!拠点は?世界選手権、パラリンピックでの活躍!
網本麻里選手は日本だけでなく、世界の舞台でも大活躍。
オーストラリアやスペイン、さらにはドイツでも拠点を置き、複数のリーグ経験があるんです。
特に2016年からプレーしているドイツ・ブンデスリーガは世界最高峰であり、彼女自身、貴重な経験を積んでいます。
網本麻里さんが日本以外でプレーをするのは、多くの試合経験や海外選手のスピードや技術を体感したいから。
その理由は単純です。
「強くなりたいから。」
引用:SPOTS OSAKA
競争心の高い網本選手らしい答えですね。
彼女の行動力の高さには驚かされます。
そんな網本麻里さんは国際大会で数々の素晴らしい成績を抑えています。
• 2022年IWBF世界選手権(UAE)で7位入賞
• 2010年世界選手権では7位
• 2006年世界選手権では6位
・2008年北京パラリンピック:4位入賞。得点王(133点)を獲得
・2021年東京パラリンピック:6位入賞。共同キャプテンとして活躍
他にも様々な功績があります。
世界選手権にも何度も出場していて、こうして彼女の活躍を見ると、
網本麻里さんが世界でもトップレベルの選手だということが分かりますよね。
網本麻里は歩ける車いすバスケ選手!将来の夢や活動は?
現在も網本麻里選手は、日本国内外で車いすバスケの普及に力を入れています。
講演会やイベントに参加して、障がい者スポーツの魅力を伝える活動をしています。
網本麻里さんの将来の夢は「自分のバスケットコートをもつこと!」
「障がい者も健常者も、誰でもいつでもバスケットを楽しめる、自分のコートを作りたいんです。」
引用:SPORTS OSAKA
彼女のバスケットボールに対する愛や情熱が伝わってきますよね。
いつまでもスポーツとは密接な網本麻里さんの人生設計が思い浮かべられます。
それだけではなく、将来的には指導者としても活動を考えている網本麻里さん。
車いすバスケを通じて、次世代の選手を育てたいという気持ちが強いんですね。
自分の経験を次に繋げたいという姿勢が、本当に素晴らしいと思います。
網本麻里さんに影響を受ける人々もたくさんいるでしょう。
私自身も、彼女のように自分のやっていることを他の人に伝えていけるような人になれたらと思います。
網本麻里(歩ける車いすバスケ選手)まとめ
網本麻里さんは大阪市出身の歩行可能な車椅子バスケットボール選手。
すっとした美人顔、プレー中の真剣な顔とのギャップが素敵です。
生まれつきの足の病気がありますが、2歳で手術を受け、器械体操を始めます。
ミニバスとの出会いは小学校3年生のとき。
最初は器械体操とミニバスの二刀流。
車いすバスケに出会ってからは、車いすバスケと健常者バスケの二刀流を経験しています。
パラリンピック出場を目指し、海外にも拠点を置いてプレーをした網本麻里さん。
世界選手権、パラリンピックでしっかり実績を残しています。
将来の夢は「自分のバスケットコートを持つこと」と「次世代を育てること」。
網本麻里選手のこれまでのストーリー、いかがでしたか?
生まれつきの障害がありながらも、車いすバスケットボールで世界トップクラスの活躍を見せています。
彼女のバスケへの情熱や努力が、どんな困難にも負けない強さを教えてくれますよね。
私自身、彼女のストーリーを知ることで「どんな状況でも新しい道を見つけて前に進めるんだ」と勇気をもらいました。
次のパラリンピックでの網本麻里さんの活躍にも注目して、応援していきたいと思います!
皆さんも、ぜひ網本選手のさらなる挑戦を応援してみてくださいね。
車いすバスケットの女子日本代表メンバーはこちらでも紹介しています。
他のメンバーのストーリーを見て行ってくださいね!
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