今回は、日本のバスケットボール界で注目を集める
河村勇輝(かわむらゆうき)選手について深掘りしていきます。
大学を中退してプロの道に進んだ彼の決断や、その背景にある想い、
さらにはプロとしての活躍まで、気になるポイントを詳しくお伝えします。
この記事でわかること!
・中退後、プロではどのような活躍をしているのか。
河村選手のキャリアや成績、さらには彼の未来について、私たちと一緒に見ていきましょう!
河村勇輝は東海大学中退!?なぜ?いつ?
河村勇輝選手が東海大学を中退したのは2022年3月末のことです。
当時、東海大学体育学部の2年生で、
日本代表のポイントガードとしての活躍を目指していました。
そんな彼がなぜ大学を中退する決断をしたのか。
理由をまとめると、
・日本代表のポイントガードになり、パリオリンピックを目指すため
・より多くの経験を積むため
主にこの三つになります。
当時、河村選手は東海大学の学生でもありながら、
Bリーグの横浜ビーコルセアーズの特別指定選手としてプレーしていました。
しかし、思ったよりもプロの世界で結果が出なかった彼。
「このままではいいのか」と自身の中でも強く思うことがあったのでしょう。
河村勇輝選手はなぜ大学を中退したのか。
つまり、この決断は、「本格的にバスケットボール選手としてやっていく」といった覚悟
といえるのではないでしょうか?
実際、その当時のインタビューで河村選手は
「昨年の借りを返せないようでは日本を代表するポイントガードにはなれない」と話し、
その決意を次のように語っています。
このクラブで結果を出し、チームの勝利に貢献したいと思います。
引用:BASUKET COUNT
この発言からも河村選手のバスケットボール選手としての強い意志が感じ取れると思います。
またパリオリンピックについても次のように答えているんですね。
日本を代表するポイントガードになり、
2年後のパリオリンピックに出場することが僕の目標です
引用:BASKET COUNT
この時点ですでに目標は明確化されていました。
そんな彼に回り道をする選択肢は無かったのでしょう。
ただ、両親が教師のこともあり、幼い頃から学業にも力を入れていた河村選手です。
練習が日本一厳しいとの声もある福岡第一高校時代でさえ、学業との両立を図っていました。
そんな彼にとって、大学を中退して、学業の道を諦めることは
難しい選択だったのではないでしょうか。
しかし、今となってはその選択は正解と言えるでしょう。
昨年のワールドカップで頭角を現した河村選手は今夏のパリオリンピック代表にも選出。
世界の猛者相手に堂々のプレーをしていましたから。
この結果は当時の彼の強い意志が導いたものではないでしょうか。
河村勇輝の大学中退への監督・両親の反応は??なぜ承諾??
河村勇輝さんの大学中退には監督、そして両親の理解と信頼がありました。
大学中退を決意した裏側では何が起こっていたのか。
そこには監督や家族との深い相談があったはずです。
東海大学は関東大学1部リーグでも3回優勝した経験のある全国でも名の知れた全国強豪校。
チームにとって河村選手を途中で失うことは受け入れがたいことです。
彼の存在ありきでのチーム作りをしているわけですから。
東海大学の監督である陸川章(りくかわあきら)監督も頭を悩ませたに違いありません。
そんな中、監督の選んだ選択は初めから「河村選手の背中を押すこと」でした。
『自分の人生だから、あなたの意見を尊重したい』
引用:YAHOO!JAPANニュース
これには、河村選手、さらには高校時代の恩師である井手口孝(いでぐちたかし)監督も
感謝の思いでいっぱいとのこと。
陸川監督の懐の広さが感じられる決断でした。
なかなか簡単に言える言葉ではありませんよね。
河村選手が陸川監督に惹かれ、東海大学に入った理由も
この寛大な人格にあるのでしょう。
また、両親にも相談した際、父親からは「覚悟を決めろ」という厳しい言葉をかけられました。
母親は「あなたの意見を尊重したい」と応援しましたが、
その裏には、やはり不安や心配もあったのではないでしょうか。
家族の支えがあったからこそ、
河村選手はプロとしての一歩を踏み出すことができたのだと思います。
河村選手も両親の次のような言葉から腹をくくったと答えています。
「プロバスケット選手になるために東海大に入学して、その基礎をこの2年間で学べた。
この決断は正しかったと思えるように、これからやっていくしかない」
引用:YAHOO!JAPANニュース
私自身、何か大きな決断をする時に家族や周りの意見はとても大事だと感じます。
彼らの応援や理解があってこそ、自信を持って次のステップに進めることができるものですよね。
その面では河村選手は周りにも恵まれていたのだと思います。
河村勇輝の大学での成績は?なぜ中退??
河村勇輝選手は大学バスケットボールでも非常に優秀な成績を収めていました。
2021年のインカレでは東海大学を準優勝に導き、アシスト王としての称号も得ています。
また、関東大学リーグ戦でも優秀選手賞とアシスト王を受賞しており、
まさに大学バスケ界のスター選手でした。
高校バスケと大学バスケで大きく違うのはフィジカルです。
大体の選手はこの部分で壁に当たることが多いのですが。。
河村選手は例外だったようですね。
彼のスピード、パス能力は大学に入っても健在。
周囲とは浮いたレベルの存在と言えます。
大学時代の貴重なハイライト映像では、
河村選手の武器の一つでもある、ディフェンスが光っています。
オールコートでドリブラーにプレッシャーを与え続ける彼の執拗さに注目です。
大学でも思う存分に活躍をした河村勇輝さんですが、
逆にそれが物足りなさに繋がったのかもしれませんね。
特質した才能を持つプレーヤーにはレベルの高い環境で揉まれることが必要なのでしょう。
それが彼のような才能を最大限に生かすベストな方法なのではないでしょうか?
河村勇輝の大学後のプロでの活躍は!?なぜプロ入り?
河村選手はプロとしてのキャリアをスタートさせてから、その実力を存分に発揮しています。
2022-23シーズンにはBリーグのMVP、ベストファイブ、アシスト王、新人賞など、
数々のタイトルを獲得し、その名を轟かせました。
彼の獲得した賞の量に驚く人も多いのではないでしょうか。
わずか2年ほどで、たくさんの賞を獲得した彼はBリーグでも注目の的でした。
特にこの頃から彼の得点力がアップし始めて、
一試合30点、40点とチームのスコアラーとしての才能も開花し始めたのです。
まさにBリーグに新たな風を巻き起こしたといえるでしょう。
具体的にはスリーポイントの向上、フィジカル面で当たり負けしない身体。
この二つが成長し、支配的な活躍に繋がったのではないでしょうか?
プロ前と後での体重は68㎏から75㎏と7㎏の増量に成功しています。
タフなスリーポイントも難なくと決めており、プレーの幅を広げています。
キャリアハイ(キャリアの中で最高と記録された成績や記録)と
なった試合のハイライトは圧巻ですよ!
大学時代からさらに磨きがかかっています。
外国人選手との対戦も増えるプロの試合で
これ程のアジャストができたことは大きな成果と言えるでしょう。
大学バスケよりさらに身長が高く、身体能力のある相手プレーヤーに対して、
シュートまで持っていけるようになったのは、まさにプロ入りのおかげ。
これからどんどん外国人選手との対戦が増えますからね。
さらなる活躍が楽しみです。
河村勇輝の大学中退はなぜ(まとめ編)
河村勇輝選手の大学、そしてBリーグの活躍に至るまでのキャリアを一緒に見ていきました。
楽しんでいただけたでしょうか?
アメリカでは、大学を中退して早くからプロの道(NBAなど)に進む選手はいますが、
日本ではまだまだそういった文化が根付いていません。
河村選手のようなケースは、日本バスケ界に新しい風を吹き込んでいるように感じます。
才能ある若手選手が、プロの舞台で早くから経験を積むことで、
さらに大きく成長できる可能性を秘めているんですよね。
これを機に、日本でも同じような道を選ぶ若手が増え、
バスケ界全体が活性化していくと素敵だなと思います。
その際、忘れていけないのが、背後でサポートしてくれる人々、
大きく背中を押してくれた人々です。
そんな周りの人々の思いも背負い、河村選手はこの先も挑戦していくのでしょう。
河村選手は2024年9月21日、NBAグリズリーズのキャンプ参加に向けて出国しました。
その際、次のようにメディアに語っています。
「すごくわくわくしているし、緊張もあるが、キャンプでプレーできることはすごく光栄。いい経験になる」
引用:Y!ニュース
その顔には覚悟のようなものがありました。
もちろんNBA入りをするためにもBリーグでのチーム、
横浜ビー・コルセアーズを退団する必要があったわけです。
送り出された身として彼なりの「期待に応えたい」という気持ちがあるのではないでしょうか。
私たちも彼の今後の活躍にはワクワクがいっぱいで、目が離せません。
これから始まるNBAキャンプに向けて引き続き私たちも河村選手に注目していきましょう。
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